統治と支配
先史、原住民時代(~1624年)
これより以前は台湾には漢民族はまだ移民しておらず、フィリピン、インドネシア方面から移住したとみられる原住民の部族が各地に居住していた。
中国王朝にも認知はされていたようだが、モンゴル族の元朝が澎湖(ほうこ、ポンフー)諸島を領有したのみで、この時はまだ本島支配はできていなかったらしい。
- 台湾にはまだ大陸の民族はおらず、原住民が支配していた。
オランダ統治時代(1624~1662年)
台湾は16世紀に倭寇(海賊)の根拠地となり、漢民族、日本人が居住するようになった。
ヨーロッパ各国も台湾の戦略的重要性に気がつき、オランダやスペインが領有し、貿易・海防の拠点とした。
日本も台湾に領土的な興味を持っており、豊臣秀吉や有馬晴信、村山等安が軍勢を派遣した。
17世紀初頭にはオランダの東インド会社が台湾島を占領し、要塞を築いたが、1661年から中国の明王朝の軍人、鄭成功(ていせいこう)の攻撃を受け、進出開始から37年で台湾から全て駆逐された。
なお鄭成功は中国人の父と日本人の母の間に生まれたハーフで、明王朝を守るため清王朝と戦ったりして台湾開発を促進する基礎を築いた人らしい。結構怒りっぽい方だったらしく、日本人の血のせいだと言われている。
- 漢民族や日本人の海賊が居住するようになった。
- 地政学的に拠点として重要な位置にあることから色んな国が進行するようになった。
鄭氏政権時代(1662~1683年)
明朝が滅亡し、清朝が進出してきた時代に、反清復明を掲げた鄭成功が台湾に拠点を築き、東インド会社を駆逐したが、清朝の攻撃により鄭氏一族は降伏し、台湾統治は終了した。
鄭成功は反清復明を果たすことはできなかったが、台湾の政権を打ち立て、台湾開発を促進する基礎を築いた。
彼は現代の台湾において「開発始祖」「民族の英雄」として高い地位を占めている。
また彼は幕府への支援を申し入れたが実現しなかった。幕府が鄭成功が負けると予測したためらしい。
彼の戦いの経緯は日本でもよく知られ、後に近松門左衛門によって人形浄瑠璃化された。
- 明朝系であり日本と中国のハーフである鄭成功が台湾開発の基礎を築いたが、清朝に滅ぼされた
大清帝国統治時代(1683~1895年)
清帝国は台湾を鄭氏政権から奪い、福建省に編入したが、台湾を化外(けがい)の地として重視していなかったため、統治には消極的であり続けた。
大新帝国編入後の漢民族(福建省、広東省)の大量移住に伴い、台湾の開発は19世紀まで徐々に進んだ。開発は台南付近から始まり、約二世紀をかけて北上し、台北付近は19席に入ってようやく開発されるようになったそうだ。
台湾は、農業や貿易により発展したが、海賊や貧しい移民、熱帯病、原住民との葛藤、水害などにより内乱が頻発した。
大清帝国は台湾への自国民の女性の渡航を禁止したことから、漢民族の男性と原住民の女性との混血が進み、現在の「台湾人」が形成された。
19世紀半ばにヨーロッパ列強諸国の勢力が中国にまで進出してくると、台湾にもその影響が及ぶようになり、欧州列強に開港されることとなった。
日本による台湾出兵が行われたのは1874年。1871年に宮古島島民54名が遭難し台湾に上陸した際に、台湾原住民によって殺害されたことについて、日本政府が大清帝国に抗議した際に原住民は国家統治の及ばない者であるとされたために、台湾出兵(牡丹社事件)がおこなわれた。
そして、国防の観点から台湾の重要性に気づいた大清帝国が1885年に台湾を福建省から分離して台湾省を新設し、これまでの消極的な統治から本格的な統治を実施するようになた。
1894年に大清帝国が日清戦争に敗北し、下関条約に基づいて大日本帝国に割譲されることになった。
- 清帝国が一応支配していたが、惰性だった。
- 地政学的に重要なことに気づいてから本格的な統治を目指した清朝だったが、大日本帝国に破れて割譲された。
日本統治時代
日本統治時代に台湾は本格的に開発された。日本への割譲反対を唱える漢人の建国した台湾民主国と日本軍との戦争の後、1896年に台湾総督府を中心とする日本の統治体制が確立した。
台湾での農業振興政策、交通網の整備、水利事業などが実施され、製糖業や米の生産が向上した。専売制度が採用され、台湾財政の独立化が実現した。
初期段階の抗日武装運動に対しては武力鎮圧が行われたが、近代化を目指して台湾内の教育制度の拡充が行われ、義務教育制度が施行され、多くの台湾人が日本に留学した。
台湾の併合にあたり、台湾人には土地を売却して出国するか、台湾に留まり帝国臣民になるかを選択させられた。
併合に反対する台湾住民は処刑され、その数は3000人に達した。
当時の台湾は衛生状態が非常に悪かったため、後藤新平が近代的な上下水道を完成させた。八田與一が烏山頭ダムと用水路を建設した。八田の功績に対して、八田の銅像が建設された。
太平洋戦争中、台湾は日本の南進戦略の前哨基地として重要な位置づけにあり、工業化やインフラ整備が進められたが、戦争末期にはアメリカ軍の空襲を受けるなど被害を受けた。
もともと志願兵として太平洋戦争を戦っていた台湾人日本兵に加え、台湾人も徴兵制度も施行されたが、実際の戦闘に投入されることはなかった。
社会面では大正デモクラシーの影響を受けて地方自治要求が提出され、地方選挙制度が施行されたが、実現したのは1935年であった。
- 太平洋戦争が終わるまで大日本帝国に支配され、教育や軍務も与えられることになった。
中華民国統治時代(1945年~現在)
南京国民政府(1945~1948年)
1945年10月17日、中華民国・南京国民政府軍が台湾に上陸し、台湾は中華民国の領土に編入された。
しかし、中華民国軍が台湾に来て、公職は新来の外省人が独占するなど本省人(台湾人)との対立が激化。1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。
日本国は台湾の領有権を放棄したが、中華民国への返還が明記されておらず、台湾地位未定論も存在する。
- 太平洋戦争直後は大陸から中華民国が支配した。
中華民国政府(1949~1996年)
蔣介石が台湾に逃れた後、台湾経済は大陸から運び込んだ資金を用いて大規模開発が行われ、軽工業から重工業へと発展した。
大陸を完全に支配した共産党と人民解放軍は台湾攻略を目指し金門島攻撃を試みたが失敗し、アメリカは台湾を防衛するために援助を与えた。
この時期から台湾経済はアメリカとの関係を親密化させ、太平洋横断的なネットワークが構築され、電子産業が育ち、国際メーカーが誕生した。
台湾は長らく国民党独裁政治が続き、民主化運動は日本やアメリカに移住した台湾人を中心に展開された。
1970年代には美麗島事件が発生し、陳水扁や謝長廷らを中心に台湾内での民主化運動が盛んになった。1987年に戒厳令が解除された後、李登輝が総統に就任し、台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の総統民選が実施された。
社会的には外省人と本省人の対立や福老人と客家人の対立があったが、国民党はそれを抑圧し、台湾の中華化を目指した。
国際的にはアメリカの庇護下で、共産圏封じ込め政策の一環として台湾とともに行動していたが、ベトナム戦争の行き詰まりから米中が国交を樹立し、台湾は国連から追放され、日本からも断交された。しかしアメリカは台湾関係法を制定し、台湾防衛を外交テーゼとしている。
- 大陸を本拠地としていた中華民国だったが、共産党と人民解放軍に追われて台湾に逃げ込むことになる。
- その後長らく国民党が独裁していたが、民主化運動が盛んになった。
動員戡乱時期(どういんかんらんじき, 1996年~現在)
1990年代前半に台湾で民主化が進み、台湾人意識と本土化が高まった。
2000年の総統選挙で陳水扁が当選し、台湾政治の本土化が進んだ。しかし、中国国民党や親民党など中華人民共和国との現状維持を主張する勢力も支持され、政局運営が不安定となった。
陳水扁(ちんすいへん)は2003年に住民投票を行うことを宣言し、立法院は公民投票法案を採択したが、賛成された条項は国民党・親民党案であった。2004年の公民投票は投票率が50%未満で無効となった。
台湾は中国との経済的関係を強化しており、電子産業も中国への工場進出によって空洞化が進んでいる。台湾政府は新竹や台南にサイエンスパークを設置して、先端産業の育成を図っているが、欧米との競争も激しく、地方との格差問題も顕在化している。
文化的には、中国、日本、欧米の影響を受けながらも、台湾独自の文化が勃興している。
2016年に民進党の蔡英文が当選し、初の女性台湾総統となった。蔡政権は2020年の新型コロナウイルスのパンデミックに対してきめ細かい対応を行い、感染拡大の防止に成功した。
- 地政学的に中国との関係を強化する上で、政治的にも寄ったり離れたりを繰り返している。
宗教
台湾の宗教の歴史は、多様で複雑である。台湾には、先住民の伝統的な信仰や、中国から伝わった仏教や道教、儒教などの外来宗教が混在している。
17世紀には、スペインやオランダの勢力拡大に伴って、カトリックやプロテスタントが台湾に入ってきた。その中でもプロテスタントの長老派教会は、台湾の歴史や社会に大きな影響を与えることとなった。
近年では、イスラム教や天理教などの新興宗教も台湾で広まっており、宗教的な多様性がさらに高まっている。
台湾の宗教は、政府とは無関係であり、信仰の自由が保障されている。
また、台湾で最も有名な寺院である龍山寺には観世音菩薩が祀られているが、龍山寺の境内には孔子や関羽(関帝)、媽祖(航海の神)など100以上の様々な神々が祀られているらしい。
龍山寺のように仏教と道教の両方を祀る寺院は他にも数多くあるらしい。
なお、最近話題のなった映画「呪詛」に登場する宗教は、台湾にある様々な宗教や実際の事件を混ぜ合わせて作り出されたようだ。また見てみようと思う。
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